「存在だけで価値がある」って、どういうこと?
以前からよく耳にする言葉――
「もっと自分を愛してあげて」
「あなたは、ただいるだけで価値がある」
そう言われるたびに

うん。。。そうだよね。
そこからだよね。自分からだよね。。。
わかる!
と思う反面、
「でも、実際どうやって?」と首をかしげたくなる自分がいました。
そもそも、自分を愛するってどういうこと?
価値って、何があれば“ある”って言えるの?
そんな問いが心のどこかにあって、ずっと引っかかっていました。
頭で、思考ではわかっている(つもり)けど、すごくフワッとしている。
今日は、そんな私がふと腑に落ちた、ある日の気づきについて書いてみようと思います。
きっかけは、何でもない愛犬とのお散歩でした。
「ただそばにいてくれること」が、もう愛おしい
暑くなってきたのでいつものように、日が落ちてからの愛犬との散歩道。
風が心地よくて、田んぼに植えられた苗が少しずつ成長していっているのを感じながら歩いていたときのことです。


ふと、愛犬がこちらを見上げてくれて――
その何気ない視線に、愛しさと胸がじんわり温かくなりました。
この子が特別なことをしたわけでもないし、
この子に「もっとこうしてほしい」「これをやってほしい」
やってくれない「この子は価値がない」なんて思ったこともありません。
ただ、今日も元気に、私の隣を歩いていてくれる。
今日もそばにいて、愛犬は彼のしたいことをしている。
それだけで、言葉にならないほど愛おしくて、ありがたいなぁという思いが湧き上がってきました。
何かをしてくれるから愛しいのではなく、
何かをしてくれるから価値があるのではなく、
ただそばにいてくれる、その存在自体が、もう“愛”なんだよなって。
その瞬間、何か胸の中で引っかかっていたあの言葉が、少しだけスーッと溶けていくような感覚になりました。
「もっと自分を愛してあげて」
「あなたは、ただいるだけで価値がある」
旦那さまにも、同じ気持ちを抱いていたことに気づく
そこから不思議と、旦那さまの顔が浮かびました。
そういえば、今の彼に対しても、
「何かしてくれたから好き」って感じたことがないな、と気づいたんです。
「もっとこうしてほしい」ということ自体、あまり考えたことがないかもしれないと。いや、ないなぁと。
もちろん、何かしてもらえたことですごく喜ぶわたしもいるし、すごく嬉しくて「好きーー!!」ってなることもあります。でも、「何かしてくれたから好き」とかはないなぁと。
もちろん、昔の私なら違ったかもしれません。
「もっとこうしてよ」「ちゃんとわかってよ」そんなふうに、いろんな期待や条件を抱えて、無駄にイライラしてぶつけて、ということが多々(いや日常化?していた)ありました。
でも今の私は、彼が元気でいてくれること、笑顔でいてくれること、毎日そばにいてくれること、
ただそれだけで心から安心できて、しあわせだと感じている。
そこに疑いの余地がないということ。
何かをしてくれたからじゃなく、
「存在してくれていること」がすでにギフトだし、それが私にとってめちゃくちゃ幸せなことだということ。
この時あらためて実感しました。
ということは…私自身も?
そして、そのやさしい気持ちを向けている対象が愛犬や旦那さま、大切な友人たちであるなら――
私自身にも、同じように向けてもいいのかもしれない。
そんな風にふと感じたのです。
何かものすごい発見をしたような気持ちになりました。
きっと私も、何かを成し遂げたから価値があるわけじゃない。
誰かに認められたから、頑張っているから、価値があるんじゃない。
ただ生きていて、今日ここにいる。
めちゃくちゃそれだけで、十分価値がある存在なんじゃないかな。
可愛い愛犬や大切な彼や友だちたちに、「何かしてくれないから価値がない」なんて全く思わないし、発想もないのに。どうして自分だけ「何かしなければ価値がない」と認めてあげないんだろう。
自分のことだけど、何だか可哀想にも思えてきました。
そして自分に向けたことのないまなざしを、
そっと内側に向けてみたら、胸の奥がじんわりとあたたかくなりました。
「あなたは私。私はあなた。」
すべてはつながっている。
そう思えたとき、自分という存在が少しだけ愛おしく思えたのです。
自分を愛せないときは、誰かを愛することから始めてもい
「まずは自分を愛しましょう」
この言葉、たしかに真理かもしれないけれど、“最初の一歩”としては、ちょっと難しく感じることもあると思うんです。よくわからないという感覚。。。。
私自身がそうでした。
でも、今回の気づきを通して思ったのは、もし自分を愛するってどういうことかわからないとか、自分に優しくってどういうこと?頭に??が渦巻くのなら、まずは誰かを愛するところから始めてもいいということ。
愛犬を愛するように、
パートナーを思いやるように、
我が子を愛するように、
自分を見つめる視点を少しずつ育てていけばいい。
誰かを大切にする気持ちの中に、自分を大切にするヒントが隠れているかもしれません。
それは、きっと自然な循環なのだと思います。
おわりに:今日もただ、ここにいてくれてありがとう
自分には価値がある――
その言葉に迷いを感じていた私が、ほんの少し、あたたかく信じられるようになってきました。
誰かに向けた愛おしさを、自分にも向けてみる。
自分を愛するって、そんなやさしい一歩から始まるのかもしれません。
今日も、ただここにいてくれてありがとう。
そう思えるあなたが、きっと誰かの光になっているんだと思う。
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