【続・恋と再スタートは突然に。】第5話:「子どもを産まない人生?閉じていく身体と、もう一度向き合った日」

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「もう子どもを産まない人生を、私は本当に選んだのか?

この問いが、何度も心に浮かんでは消えていった。
答えの出ないまま、なんとか自分で自分にこれまで折り合いをつけてきた・・・(つもりだった。)

46歳。富山に移住して、少しずつ整いはじめた新しい暮らしの中で、その問いはうっすらと私のどこかに存在しているようなそんな感覚。その身体の奥底に沈澱していたモヤモヤの声が、日に日に大きくなってきたことに私は気づいてた。

それは・・・・子宮さんからの叫びのようにも感じる内側からの声。

そしてある日、それは私を大きな決断へと導いた。
子宮さんと私の対話のはじまりであり、“女の人生”について、もう一度ちゃんと向き合おうと思った日だった。

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あの日、犬を置いて救急車を呼べなかった私

それは富山に来る4年前(42歳)の出来事だった。

突然、夜中に体に激痛が走った。いつもとは違うとんでもない痛みに襲われ、動けない。
自分一人だったら当然、すぐに救急車を呼んだレベルの痛さ。
当時の私は一人暮らし、その時にすでに飼っていた生まれて5ヶ月の愛犬のくうし君を一人部屋に残して、救急車を呼ぶという選択は私にはできなかった。

逗子に引っ越してきたばかりで近所に友達もいない。
助けを求めたら、すぐに駆けつけてくれるような彼氏もいない。
実家は和歌山で遠すぎる。(運転免許のない母が深夜に和歌山から駆けつけるなんて、どうやってできる?)

うずくまったまま夜を越し、明け方、震える手で実家の母に迷ったあげく電話。
その数時間後、始発の新幹線で駆けつけてくれた母とともに、ようやく救急搬送された。(母と一緒に駆けつけてくれた妹に愛犬くうし君をお任せして)

診断は「子宮腺筋症」と「卵巣嚢腫」「子宮内膜症の疑いあり」。
そしてホルモン治療の一環として、子宮内に避妊用器具「ミレーナ」装着の説明を医師から受けた。

ミレーナとは?
ミレーナとは、子宮内に装着する避妊リングの一種で、正式名称は「子宮内黄体ホルモン放出システム」。
持続的に子宮内に黄体ホルモン剤が放出されるので無月経または月経量の減少が起こる。そのため、生理痛や月経過多の緩和効果が期待できるというもの。もちろん、高い避妊効果も兼ね備えている。

当時42歳。
医師からも「装着している間は妊娠しない(できなくなる)こと」の説明を受け、私はミレーナを装着することにした。それは、体を守るための選択だったけれど、その瞬間、私は思った。

——ああ、これで私は“子どもを産まない人生”を本当に決めたのかもしれない。

20代から続く、子宮との闘い

思えば、生理との戦いは20代から始まっていた。
決まった周期で来ない生理が当たり前。
ひどい生理痛。月経過多。立っていられないめまい。

でも、仕事は待ってくれない。(やりがいもあるし、仕事も楽しい。)
生理で休むなんて言えない空気。

そして定期的に病院に通うことって、仕事をしながらって本当に大変だったし、当時の私は病院に行くことよりも面倒くささが勝っていた・・・。とにかく、産婦人科はどこも混雑しすぎていて予約を取るのも大変。予約して行ったとしても、まぁ1日仕事・・・。

そして、診察を受けてもいつも決定的な大病という診断ではない。

病院から言われることは「ゆったりと、ストレスを溜めずに。規則正しい生活を心がけて。仕事していると難しいかもしれませんが・・・」とお決まりの言葉。

20代の頃の私は

とやまりこ

妊娠は正直まだいいかも。
生理は変だけど、そこまで変でもないかぁ。。。。
ずっとこんなだし。」
「仕事はそんな生理なんかで休めないし。」

今思えば、子宮の声なんて全く聞こうともしていなかった。
痛みが出てどうしようもない異常な状態が身体に現れた時、思い立ったようにまた病院に行き、そしてまた忘れる。
自分で書いていても、本当に自分の身体をないがしろにしてきた自分が恥ずかしいし、情けない。

普段は鎮痛剤でごまかし、無理して働いていた。
そこに当時はなんの違和感もなかったと思うし、それでなんとかなっている。。。と正直思っていた。

そんな私も30を過ぎて、35歳で「たまらなく赤ちゃんが欲しく」て再婚。
再婚してすぐに年齢的にも子供を望むなら「受けといた方が良いかな?」と思い立ち・・・近所の産婦人科にブライダルチェックに行った。そこで、「併せてがん検診もやっておきましょうか?」という流れになったと記憶している。

それら検査報告の結果が出る再診予約日は、まだ数日も先だった。
しかし携帯に突然、病院からの着信

「来れる日に病院に来てもらえるませんか?都合の良い時にできるだけ早めに病院に来てもらえると」と言うではないか。(電話口の声は穏やかで、まったく焦っている感じはしない。

当時は専業主婦。
もちろん電話がかかってきた日も特に予定はなかった。とりあえず病院側は「できるだけ早め」って言ってたしな。。。とりあえず支度をして、何かわからないけど。

とやまりこ

今日のうちに済ませとくか

そんな軽い感じだった。

いつも通りの激混みの待合室で長時間待たされることもなく、その日は診察券を出したら不思議なことにすぐさま診察室へ案内された。今日は待ち時間ゼロ!!ラッキー!!!(呑気だった・・・)

そこで先生から淡々と説明されたことを、一体何について先生が言っているのか??
私はすぐに理解ができなかった。

そう。。。。

それまで放ったらかしにしていた子宮さんが私に、まさかの!!!”子宮頸がん”だとお伝えをしてきた(してきてくれた)のだ。
すぐさま大病院をそのまま紹介された。しかし、そこから私は奇跡的にも癌が消えた。
その後不妊治療にも挑戦し頑張った。しかし、残念ながら赤ちゃんは授からなかった。そして離婚。

体も心も、子宮も、ずっとフル稼働だったんだと思う。
何より子宮さんの声をずっと私は聞いてあげることなく、それまで生きてきたんだと思う。

富山に来て芽生えた“違和感”

富山に移住して少し落ち着いた頃、ふと感じた。

とやまりこさん

「このままミレーナを入れたまま閉経するのって、なんか違う」

年齢は46歳。妊娠よりも閉経が現実味を帯びてくる時期。

それでも——
もしも、彼との間に奇跡のように赤ちゃんがやってくるなら?
そんな“ありえないかもしれない未来”を、どこかで手放せずにいる自分がいた。
まるで自分の人生を、半分「保留」にしたまま進んでいるような感覚。

「このまま終わるのが嫌だ」——彼に打ち明けた夜

富山で定期検診を引き続きしてもらえる病院の予約は入れたものの、気持ちは揺れていた。

ミレーナを外したら、また痛みが戻ってくるかもしれない。
妊娠の可能性なんて、もうほとんどない。

それでも私は病院に行く前夜、彼に打ち明けた。

とやまりこ

「ミレーナを外したいと思ってる。。。。」

ミレーナを入れたままだと、いま生理が来ているかどうかもわからない。
ミレーナを外しても自分の身体が大丈夫かどうかはわからないけど、外せるなら外したい。
そして、もう年齢的に 閉経しているのかもわからない。

けれど・・・・

とやまりこ

「このままミレーナを入れ続けて閉経を迎えるのが……なんか、自分で自分に納得できない気がして」

私は自分の人生を終える時に、それは「絶対に後悔する」と。

そして、彼は少し黙って、そして静かに、穏やかに言った。

旦那さま

「Toyamarikoちゃんの体が大丈夫なら外したらいいと思うよ。
Toyamarikoちゃんの体のこともあるし、そこは心配だから先生にちゃんと聞いてみて。明日、先生にちゃんと相談してみたら?」

その一言に、ふっと肩の力が抜けた。

「死ぬときに私・・・後悔すると思うんです」——すべてを話した日

病院に行くと、その日は偶然、ホルモン治療専門の女医さんの診察日だった。
母のような安心感を持つ先生の前で、私は心の中にあった想いをすべて話した。

過去の不妊治療、ミレーナを入れたときの思い、 無理な妊活を今は望んでいないこと、 年齢的に恥ずかしいことをいま言っていると自分で思っていること、それでも、奇跡が起きたらうれしいこと、 そして——

「このままミレーナを入れたまま閉経するのは、自分が死ぬときに後悔すると思ったんです

先生は私の話をまっすぐに聞き、そしてカルテを見ながらこう言った。

「うん、あなたの気持ち、よくわかるよ。。」
「んーーーじゃあ、外しましょうか。そのうえで、もしまた症状がひどくなったら、その時にまた一緒に考えましょう。それまで漢方でできることしていきましょう。」

その日、私はミレーナを外した。

まるで、体の中にあった“保留ボタン”をようやくオフにできたような感覚だった。

揺れる身体、揺れない決意

ミレーナを外したことで、それまでの快適さは一変した。生理痛の痛みが戻った日もあったし、感情の波も激しくなった。でも、それでも、私はどこか清々しく納得していた。

それは、自分で選んだ道だから。

そして——

「もしかしたら、このまま生理が戻らないかもしれない可能性がある」という先生の言葉に覚悟はしていたけれど、数週間後、ちゃんと生理が戻ってきた。

私の身体は、まだここにいて、ちゃんと応えてくれている。
泣きたくなるほど、うれしかった。
子宮さん本当にありがとう!


今、もしかしたら私と同じように、身体と心の折り合いをつけながら、 “女性としての人生”を模索している人もいるかもしれない。年齢、過去の選択、病気、環境……いろんな要素が絡みあっていて、 「これが正解」と言えるものはきっとないかもしれない。

でも、一つ言えるのは——
**「自分が納得して選んだ道は、どんな結果になっても、自分の力になる」**ということ。

私は、自分の子宮と向き合ってみて本当によかったと、いま振り返りながらこれを書いています。
あの日、覚悟して、話して、決めて、動いて、 泣いて、笑って、揺れながら。

もし、同じように悩んでいるあなたがいるなら、 大丈夫。
あなたの体とあなた自身は、あなたの最高のバディ(味方)。
そして、人生はいつからでも、何度でも、再スタートできる。

次回、第6話では……?

揺れ動く身体と通院を考えて、まずは就職ではなく月曜から金曜まで職業訓練校に通うという選択をした私。
それは“彼との生活を大切にしながら働く”という未来のシミュレーションでもあり、 ミレーナを外したばかりの私の体にとっても、ベストな環境だと感じたから。

16時には家に戻って、家のことをして、ご飯を作って——
かつては面倒に感じていた家事や暮らしの時間、 自分の価値観や生き方を見つめ直すきっかけになっていく。

次回は、そんな“富山で見つけた暮らしの幸せ”についてお届けします。

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この記事を書いた人

『とやまりこ』編集人。血液型B型。長女。
2度の結婚&離婚を経験、人生山あり谷あり、ジェットコースターのよう。
残りの人生で「やっぱり真実の愛に向き合いたい」と一念発起!
懲りずに45歳で婚活を再開始!!!猛活動の末、46歳で現在の旦那さまと出会いお付き合い開始。
大好きだった湘南・鎌倉から旦那さまの故郷「富山県」に2024年3月Uターン移住。
2024年8月大好きな旦那さまと結婚、現在は愛犬のくうちゃんと3人暮らし。

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