こんにちは、とやまりこです。
最近、自分の中でひとつの「気づき」がストンと胎落ちしました。
いつも、絶妙なタイミングで我が家を訪れてくれる友との時間の中で、一泊二日の間で何気ない会話やそのタイミングで彼女に起こった出来事や、私に起こった出来事、彼女から投げかけられた問いなどなどから。
それは——
「あぁ、私って自分のこと、ぜんっぜん信じてなーーーい」
ということ。
見ないフリのプロ選手
自分の本当の願いに気づくのって、思ってるよりずっと難しい。

「なにがしたいのか、わからない」
「いや、ほんとはわかってる気もする。でも、それをやるのはムリ。できないよな。。。」
そんなふうに、できない理由、やれない理由が次から次へと出てくる出てくる。
もはやこれは、自動運転のような現象となっています。
で、最終的にこれまでの私を振り返ってみると・・・
私がとる(とっていた)行動はというと……
“とりあえず、できそうなことをやる”
“たぶん、この人なら受け入れてくれそうだから、こう振る舞う”
つまり、誤魔化すんです。
本音の奥にある、いびつだけどキラッと光る願いを見ないフリして。
いや、ないことにして。
色んなできない理由や、やれない理由をたくさん持ち出して、その自分の行動を正当化する。
ごまかしは、やっぱり長持ちしない
でもね、ごまかしって……やっぱり長くは続かない。
最初はうまくいったように見えても、
最初はやる気に満ち溢れていたとしても、
どこかで苦しくなる。
私はだいたい「からだ」に出ます。
いや確実に「からだ」に出る。
突然禿げる、生理がとんでもなくおかしくなる、倒れて寝込む。
心って、ほんとに賢い。ちゃんとSOS出してくるんですよね。
わからないままで、立ち止まらない
「やりたいことがわからない」
この言葉、すごく重くて、苦しくて、息苦しい魔法みたい。
でも、そこで逃げない。
今の自分をまずは客観的に受け止めて(ノートに状況や状態などを書くのもあり)
わからないなりに、小さな“やってみたい”、自分がたどり着きたい状態(望み)を拾っていくことにしました。(もちろん、大きなやりたいが出てきたらそれもOK)
そして、”違う”という心の声や、自分の中にある違和感を拾い上げ、執着や不安から距離をとる(手放したり、アクションをする)。
今回は、その時に友達がそばにいてくれたことはとてもありがたかったです。
拾いだした”望み”も”やりたいこと”も、”さよならしたいこと”も、声に出してシェアするということができたから。
本当にありがたい。。。
たとえば、小さなやってみたいってこんな感じ。
・甘酒を仕込んでみる
・退職の連絡をする
・やりたいリストを作成する
・掃除をする
・読んだ本をノートに整理してまとめる
そんな小さな“やりたい”を積み重ねるうちに、少しずつ自分との信頼貯金がたまっていくのかもしれません。
「あ、ちゃんと聞いてくれてるんだね」って、心の奥の自分がホッとしていたり(じわっと温かくなるような感じ)
「できないじゃん!あなたには無理だよ!」「あなたには価値がないよ!」と頭の中で大きくなるように感じるいつもの声を、少し黙らせることができたりする。
自分の味方は、いつだって自分
誰よりも私を一番疑っていたのは、私自身でした。
でもだからこそ、信じてあげられるのも私自身しかいない。
大きな夢やビジョンが、いきなり見えなくてもいい。
やりたいことが、素晴らしく立派なものじゃないといけないということはない。
まずは今の「ちょっとやってみたい」を一緒にやってあげる。
それだけで、人生の風向きってふわっと変わるものなのかもしれないと、しみじみ思うのです。
やりたいことが1つでもいい。
たくさん今は出てことなくても、その1つをちょっと試しにやってみる。
そして、誰かに「やってくれたんだね!ありがとう!」と言ってもらうのではなく、自分で「やってくれたんだね!ありがとう!」と言ってしまおう。
今日は先ほどやりたいこと、手放したいことの1つを行動してみました。
それは「退職」の意向を会社に伝えること。
どこかで、執着している自分とそんな自分への違和感(不信感)。
不安や恐れもありまくりましたが、衝動からの行動ではなく、ここ1ヶ月以上自分と対話しながら自分の願いを聞いて、自分で決めて行動したので今の気持ちは「感謝」と「もやがふっと軽くなった感覚」です。
まずは自分を信じるところから。
小さなやりたいを「いま」やることから。


ではまた、次の気づきがやってきたら、ここでお話ししますね。
今日も読んでくださって、ありがとう。
——とやまりこより♡
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